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恋よりも音楽、はじまりはドキドキする高揚感
「中学の合唱部で夢中になって練習していた頃、好きな歌を歌ったり、聴いたりすると、抑えきれないほど気持ちが高揚しました。恋する年頃なのに、心ときめく対象が音楽とは。はじめは悩みましたが、考えた末にこの気持ちを音楽、歌に向けることにしたのです」。演奏家を目指した原点は、この頃にあると新垣さんは振り返ります。その後、音楽高校、音楽大学に進み、大学院でオペラを専攻。文化庁の派遣でローマへの留学を経て、約2 年間、日本で舞台やコンクールを経験した後、イタリアのボルツァーノの音楽院へと進みます。
日本での舞台経験を経て、イタリアへ
新垣さんの留学時期は、大学院修了後すぐではありませんでした。「すぐにでもイタリアに行きたかったのですが、“留学は日本で歌手の仕事をしてから” という先生の強いアドバイスに従うことにしたのです。今思えば、この日本での舞台経験のおかげで多くのことを学びました。オペラの舞台に取り組む現場の人たちの姿勢は日本もイタリアも同じだということがわかり、イタリアでも戸惑うことなく舞台に臨めました。そして、舞台制作の流れや重要なポイントがよく把握できるようになり、自分の力の配分がうまく調整できるようになりました。これらの貴重な経験は、その後のキャリア形成の基盤となり、可能性を広げるきっかけとなりました」。
将来の目標を描いて、留学の目的を明確に
「留学を目指す皆さんにお伝えしたいことは、留学する年齢にもよりますが、早い、遅いに関わらず、留学の目的をはっきり持ってほしいということです。留学の目的が明確かそうでないかは留学生活に大きく影響します。単に勉強だけにとどまるのか、留学後は日本に戻って活動したいのか、それとも欧州に残って活動したいのかなど、“自分自身がどうしたいのか” あるいは、“留学後は何をしたいのか” という目的意識を持つことが大切です」。
留学先選びは手間と時間を惜しまないで
新垣さんが留学先に選んだボルツァーノは、イタリア北部に位置し、オーストリアとドイツの影響を受け、またラディン文化が融合した独特な都市でした。「私が留学先をボルツァーノの音楽院に決めた理由は、“この先生に教わりたい、この先生に教われば上達するはず” と思える先生に出会ったからです。オペラを学ぶならミラノやローマの音楽院を選ぶのが一般的ですからボルツァーノは留学先としてとても珍しいでしょう」。
「でも私は“有名な音楽院” という評判だけで留学先を決めることはせず、“その音楽院に師事したい先生がいるかどうか” ということを第一に考えました。事前に先輩や知り合いを通じてよく調べ、個人レッスンを受けたり、直接先生にお会いして確かめるなど、手間も時間もかかりましたが、今となってはこうした準備がとても重要だと感じています」。
留学前はイタリアのベルカント・オペラが中心だった新垣さん、「ドイツ語とイタリア語のバイリンガル都市のボルツァーノで暮らしたことで、ドイツ語のオペラにも取り組むようになりました。おかげで、オーストリアなどに活動の場を広げられることになりました。ただ、イタリア語とドイツ語のオペラを両方歌うのは珍しいかもしれません」。
プロの世界で求められる完璧なまでの準備
ボルツァーノ音楽院の学生でありながらプロのオペラ歌手としても活動していた新垣さんは、舞台などのオファーがあればなんでも挑戦しようという意識で準備をしていました。そんな中、大きな転機となった出来事がありました。
「オーストリアの指揮者グスタフ・クーン氏の公演でソプラノ歌手の欠員が出たのです。“やってみないか”と声がかかった時、迷うことなく“できます!”と名乗りをあげました。しかしそれはチェコ語の曲。音楽的には問題ないのですが、チェコ語の歌詞の発音がわかりません。翌日のリハーサルのために、すぐさまチェコ人やスロバキア人を探し出し、お願いして、歌詞を読み上げてもらい、それを録音して何度も繰り返して覚えました」。果敢に臨む新垣さんのプロ意識に感嘆。
プロと学生の違いを聞いてみると「どれだけ準備を完璧にするか、だと思います。チェコ語の発音を指導してくれる方は現場にいますが、劇場入りしてから誰かに教えてもらえば良いという受け身の姿勢では通用しません。できることを全てやってから劇場入りするのがプロなのです」。
その後、新垣さんのことを覚えていたグスタフ・クーン氏より、氏主催の音楽祭でワーグナーのオペラへの出演オファーがあり、以来、毎年出演しているとのこと。新たな可能性へとつながったエピソードです。
「こうなりたい」「こうしてみたい」と思ったら迷わずやってみよう
最後に、これからイタリア留学を考えている皆さんにメッセージをお願いしました。
「“イタリアに行ってみたい” と思ったら、その湧き起こった想いを大切に、実現に向けて動いてほし いと思います。会ってみたい先生や先輩がいたら積極的にコンタクトをとって自分の想いを伝えましょう。これには勇気も必要だけど、求められて嫌な気持ちになる人はいないはず。案外受け入れてもらえるものなのです。
私もこれまでに日本でもイタリアでもたくさんの失敗を繰り返してきて、今の自分がいます。“当たって砕けろ” といいますが、砕けることはありませんよ。むしろ“失敗のおかげで磨かれた!” と考えましょう。オペラ歌手を目指す方はコンクールやオーディションをはじめとして、自分の声をひとりでも多くの人に聴いてもらう機会を増やす努力をしてください。たとえその時結果が出なくても、あなたの歌を覚えている人は必ずいるのですから。“やってみたい” という初心の気持ちを大切にしてください。そして、たとえ失敗したとしてもそこから広がる可能性を信じて、どんなことがあってもあきらめずに、ご自身のもつ良さを磨いてください」。
オペラ<魔笛>の公開オーディションの書類審査で落選の知らせを受けた時のこと。
先生も私も納得できず問い合わせたところ「応募者が多すぎて、すべての書類に目を通せなかったから」との回答でした。交渉した結果、同様の問い合わせもあったようで、追加オーディションが実施されることに。
追加オーディション時、何よりも幸運だったのは、公開オーディション時に不在だったこの舞台の演出家である世界的な舞踊家 リンゼイ・ケンプ氏が審査に加わっていたこと。とても丁寧に聴いてくださるケンプ氏を前に、「聴いてもらえただけで幸せ」と心から報われた気持ちで歌ったことを覚えています。
そして後日、ケンプ氏の一言で合格が決まったという知らせが。あきらめずに行動すれば可能性が広がることを実感した出来事でした。
世界的なイタリア人ソプラノ歌手 マリエッラ・デヴィーア氏に、念願の個人レッスンをお願いした時のことです。同じ目的でその場に居合わせた留学生の知人と一緒にお願いすることになりました。氏を前にして知人は「あなたと勉強がしたい。私の歌を聴いてください」と単刀直入なイタリア語で。私がこの日のために繰り返し練習していたのは「もしよろしければ私の歌を聴いていただけませんか」のようなとても控えめな言葉でした。レッスンは快諾していただきましたが、丁寧とはいえ遠回しの日本的な表現は、何を求めているのかが実は伝わらないと思い知ることに。イタリアでは、シンプルなフレーズでストレートに熱意を伝える、それが重要です。