イタリアで何か新しい発見が見つかる期待と目標
私が「イタリアに住みたい」と考えたきっかけは、デザイン研修旅行でミラノを訪れ、そのときにイタリア人の陽気で明るい雰囲気とおいしい料理に心を奪われたからです。また、美術が好きで美大に進み、デザインを専攻していた私は、本場イタリアでデザインの現場を見せてもらった際に「ここで経験を積みたい!」と考えるようになりました。
振り返ってみると、物事を突き詰めて考えてしまう私は「デザインとは何か」という問いに対して、「イタリアで何か新しい発見が見つかるのではないか」という期待と目標を抱いていたのだと思います。
ミラノを選んだ理由は、この場所には「巨匠デザイナー」と呼ばれる人たちの事務所があり、そこで修行するために世界中から若いデザイナーがたくさん集まっていたからです。また、修業のあとも、ミラノを拠点に活躍しているデザイナーが多く、私もそのひとりになりたいと考えました。
わかり合える喜びと言葉を話すことの大切さ
もともと友人が参加し、私はただ見学のつもりで「Futurarium Summer Work Shop」に行ったのですが、そこにはイタリアをはじめ、アメリカ、ドイツ、オランダなど、世界中からデザインを学ぶ学生が集まっていました。「自分のデザイン力を試す!」という学生たちの熱の入った雰囲気に引っ張られ、とうとう私も参加せずにはいられなくなりました。
ワークショップ期間中でいちばん苦しかったのは、やはり「言葉」でした。とにかく話がわからない、伝えたいことも話せないという状況です。あまり外国語を必要としない日本での生活に慣れていた私はまったく会話ができず、大変苦痛でした。
そんな中、教官から課題用紙が配られました。紙には「新しいIDカード」とだけ書いてありました。説明などまったくわからない私は、その出題意図を必死に理解し、制作しました。私が「新しいIDカード」として提出したのは、個人の過去と記憶データをダンボールで巻いてつくったオブジェです。作品のタイトルはイタリア語で「ボッチョラ(つぼみ)」でした。作品の発表会では、イタリア語をカタカナで書いた小さな紙を用意して、それを読みました。そうしたら、その場で大歓迎を受け、とてもうれしく感動しました。そのときに学び、発見したのは、言葉を話すことの大切さです。
理解し合い、わかり合える喜びでした。
イタリアに留学して、新しい価値観が身につき、時間の使い方や味覚が変わりました。留学後は巨匠やトップデザイナーのもとで経験を積み、ミラノで個人事務所を設立しました。それらの経歴はNews Weekの表紙でも取り上げられ、帰国した現在は日本工学院専門学校でデザイン教育に携わっています。多くの若い才能に触れ、彼らのお手伝いをしている中で、イタリアで学んだノウハウがとても役に立っています。
加賀さんの略歴
1995年にイタリアへ渡り、アンドレア・ブランヅィ事務所に在籍。のちにミラノを拠点とし、家具や照明、服飾雑貨を中心にデザインを展開。2000年より各ヨーロッパ企業のデザインをフリーランス契約のもと発表を続ける。おもな活動として、フラワーベースブランドのfiorichiariプロデュース、アートディレクターDEBORAH MILANOから2007春夏コレクションの化粧品のパッケージデザインなど。富山プロダクトデザインコンペ富山デザイン賞。ポラダインターナショナルデザインコンペ最優秀賞など、受賞多数。